たらちゅうを知らない人が増え続ける盆タラの風土が失われつつある福岡

つい最近妻が「スーパーでタラの骨が売っとんしゃったけど・・・、何に使うとかいな?」などと、おバカなことをいうものだから、その形を詳しく聞くとたらちゅうであることを察知しました。


知らない方が見ると、なるほど骨にも見えるかもしんない!!と思ったバイ。



たらちゅうと言うが、「たらおさ」「たらわた」と言う方もおられる。



こんな形をしている。



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知らない人からすると、得たいの知れないこの物体は、マダラのエラと胃の乾物なのである。



宇宙から飛来したエイリアンのミイラでもない。



こちらがエラの部分である。


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こちらが胃袋の部分である。


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さてさて、これをどう使うのか?と思う方も昨今では珍しくない。



お盆の魔除け??などと思う方もいるかもしれないが、列記とした食べものなのである。



最近著しく需要が減っているのには、ワケがあり、これを料理するのが面倒臭いのだ。



まずは、たらい等に水を張り、数日間かけて水を替えながら、不純物などをタワシなどで取り除きながら、軟らかく戻すのである。



その異臭はかなりのもの。



しかも、ノラ猫が咥えて行くこともある。  ^^;



そうやって水モドシしたものを適当な大きさに切り、煮付けるのである。



煮付け方も各家庭で異なり、砂糖と醤油と味醂だけでシンプルに煮付けたり、それにタカの爪を加えたり、昆布や豆や野菜と一緒に煮付けると言う方もいる。



福岡県内では、主に甘木・朝倉地区筑豊地区などでもっぱら食されてきた様である。


だが、魚に詳しい方なら、玄界灘にはいないマダラのエラや胃の干し物がどうして福岡の山間部で盛んに珍重されたのか?と思われるのが当然でもある。



理由はいくつかあるが、海が近い北九州市の前身である小笠原藩や福岡市の前身である黒田藩などは、新鮮な魚介類に恵まれていたためにこのたらちゅうを口にすることはほとんどなかったと思う。



ではなぜ、甘木・朝倉地区や筑豊地区で盛んに食されていたのかと言うと、大分県の山間部である日田に近かったからである。



日田と言えば日田杉で知られていて、江戸幕府の天領=直轄地だった。



当然ながら江戸からお代官様が日田に派遣され、江戸で食べていたたらちゅうを懐かしんで取り寄せたところ、日田で盛んに食されるようになり、同じ山間部である甘木・朝倉地区や筑豊地区に伝播したと考えられる。



つまりは日田を起点として主に福岡の山間部から福岡市内や北九州市内へと、人の移動とともに伝えられた食べものなのである。


海産物がなかなか入手しにくい地域の食べ物が人の移動とともに福岡各地に広まったと言うわけ。



甘木地区では、数十年前までは結婚すると、お盆前にお嫁さんの実家に棒タラを持って行くのが慣わしであったと聞いたことがある。


この棒タラも料理するのが厄介な食べもので、木槌で叩いたり、クルマで踏んづけたりして身をほぐしてから、たらちゅうと同じように水戻しして煮付けるのである。


作るのに手間ひまが掛かることと、悪臭を放つことから、年々敬遠されてきている食材でもあるが、夏の風物詩の一つでもあると思う。


私も知人宅でお盆に何度か食べたことがあり、見るにつけ懐かしさを感じる。



電子レンジでチンすれば、簡単に美味しいモノが食べれる時代に、あえて手間とヒマをかけて煮込むたらちゅうはすっかり貴重品となった。


サブカルチャーでも構わないから、残していただきたい郷土料理の一つではないでしょうか?




























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まとめ

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